授与品の紹介

商売繁盛・事業繁栄・福徳円満・人生行路開運守護の御神徳で知られます「西宮八幡宮」。ここでは当社の授与品の一部を紹介します。(画像をクリックすると拡大し、下部に説明が表示されます。)

当社は鎌倉時代の文治年中、藤曲浦の漁民によって安芸の國「厳島神社」の三女神御分霊を現在地の台地に斎き祀り「厳島社」として厚く崇敬されたことに始まる。航海安全や大漁の守護神とされた。他方、当時の宇部市湾岸部には摂津の國御鎮座「西宮神社」御祭神夷子神分霊を数か所に斎き祀った。(平家が厚く崇敬した厳島の神・瀬戸内海の終着点である摂津の國えびす神は漁業として発展していった藤曲から岬の民達には御神威高き神であった)今日でも宇部市岬地区には地元漁民によって夷子神社が崇敬されており、宮地町や鵜の島地区にも「西ノ宮」の地名が残っている。「宇部市史」によれば元歴元年現宮地町に「西ノ宮八幡宮」建立と記録されている。此の「西ノ宮八幡宮」は1377年に宇部郷の鎮守として御移座し社号を「琴崎八幡宮」と変えて今日に至っている。又、当社末社である居能町鎮座「三嶋神社」境内社にも「夷子神社」が現存しており、やはりこの社も元々は「西ノ宮夷子」と伝承されている。総じて宇部市湾岸部周辺には七社の夷子神社が存在していたと口伝されており「七えびす」と呼ばれていたという。当社に於いては現在地からは東の方角に「西ノ宮夷子三郎社」が建立されていたと伝承されており、現在の北条辺りで住宅街に囲まれた小高い台地の森となっている。建立年は不明であるが、当社の御神体は「夷子三郎神」であることから推察するに傀儡子によって恵比寿神が漂流神から現世利益型の福神へと信仰が変化していった室町時代の1336年以降であろう。慶長五年「関ヶ原の戦い」によって周防・長門二カ国29万石に石高が激減した毛利氏は慶長15年に初の検地を行っている。70パーセントもの重税によって国外に逃亡する農民が続出。元和元年江戸時代に入り毛利氏は石高を増やすべく宇部湾岸部の埋立事業、所謂「開作事業」に着手する。当時海岸線の干潟であった当社付近も元禄二年の江の内開作事業によって新田地となった。塩田地も開発され石炭事業、廻船事業も繁盛し藤曲村は一大市場として発展していった。然し当時の藤曲村の氏神様は琴崎八幡宮であり、直線距離にして五キロ以上も離れている為、村民達は藤曲にも琴崎八幡宮の神様を建立して欲しいとの機運が高まっていった。「宇部郷土史話」によると、西ノ宮えびす三郎社の神主であった藤田三太夫氏は徳兵衛という剛腕を率いて琴崎八幡宮の御神輿を力づくで奪い、恵比寿三郎社に合祀したという。無論当社の御神体は御神輿の分霊ではなく作り話であろう。但、全くの作り話とは言えないのは、当社約50メートル裏の小藪には藤田家の墓が南向きに建っている。之は当社の方角に意図的に建てられたものと考察され、藤田三太夫氏が藤曲の民達に氏神様を建立してあげたかったという情熱の名残であり、当社建立の何らかに関わった証であろう。神社信仰に於いては寛文5年(1665年7月)幕府によって「諸社禰宜神主法度」が公布されている。長州藩については是に先立つ事、万治三年9月に「社家法度」が公布されている。琴崎八幡宮勧請にあたり法令違反があったとすれば、西ノ宮えびす三郎社は淫祠とみなされ宮を解かれた可能性は高い。事由は事なれど、居能三嶋神社も村田清風の天保の改革によって藩庁簿書に記入漏れがあり淫祠とみなされ一度廃社にされた歴史がある。正徳3年(1713年)宇部村総鎮守「琴崎八幡宮」御祭神「応神天皇 神功皇后 仲哀天皇」御分霊を現在地に合祀し「西宮八幡宮」が建立された。西ノ宮恵比寿三郎社は解かれたものの御神体は密かに祀られたと推測される。事由は無論、神領の支給に関わるからである。当社の社号は西ノ宮恵比寿三郎社から取ったとも琴崎八幡宮が以前に社号とした「西ノ宮」を冠したとも伝承されている。明治21年(1889)五月 藤曲村と中山村が合併。藤山村となる。当社は居能「三嶋神社」鍋倉「宮地嶽神社」平原「平原神社」中山「大鳥羽神社」浜田「水神社」を束ねる「藤山総鎮守社」となる。「宇部市史」によれば「恒石八幡宮・末信正八幡宮・松郷八幡宮・古尾八幡宮・琴崎八幡宮・横瀬八幡宮・南方八幡宮・平原八幡宮・西宮八幡宮」が宇部市の大社と記載されており、分けても当社は氏神のみならず夷子三郎神(通称えべっさん)を御奉祀されていることから「商売繁盛・事業繁栄・福徳円満・願望成就の守護神」としての信仰も多い。八幡神は「開運・厄除け・安産子育て・必勝の神」厳島三女神は「交通安全・祓いの神・人生行路守護」の御神威があるとして古く源氏の世から現在まで全国的な展開をみせ「氏神様・鎮守様」として斎き祀られている。当社には他に京都「伏見稲荷大社」島根県津和野町「太鼓谷稲成神社」両社の御分霊も御奉祀されており、歴史的に鑑みれば海運業や農業、商業や事業等で繁栄する宇部市近郷の民達が、時代時代に流行した神々を積極的に祀ってきたことが窺い知れるのである。             平成25年6月現在までの調査研究報告 西宮八幡宮 禰宜 野村 敦