当社と各地区の神様について(西宮八幡宮境内・境外末社並びに兼務社の紹介)

         西宮成就(じょうじゅ)稲荷神社

 

鎮座地 西宮八幡宮境内

 

御祭神 宇迦之御魂神・道祖神

 

由 緒 廻船業や漁業で発展した宇部市にあって商売繁盛の守護

    神は「ゑびす・大黒」と思われがちですが、この神々が

    そうした性格を帯びるのは江戸時代に入ってからでした。

    宇部地域は、往古から「漂着神」を意味する「ゑびす」を

    祀っていたことから、現世利益を求める存在ではなかった

    と考えております。

    当社の稲荷神は、時代は不詳ながら京都「伏見稲荷大社」

    と津和野町「太鼓谷稲成神社」の御分霊が祀られており、

    ご鎮座295年式年大祭の記念事業として、新たなお社が

                                 平成22年に建立されました。

                                 現在では、西宮ゑびす神を参拝された多くの方が、稲成

                                 神社にお参りする参拝法がポピュラーとなっております。

    境外末社 三嶋神社(法人登記では三島神社)

 

鎮座地 宇部市居能町

 

御祭神 三嶋大明神(大山祇神・宗像3女神)・八王子神

    ゑびす・大黒神

 

由 緒 安政2年(1855)藤山地区では大規模な埋め立て事業が

    毛利藩により行われました。

    山口県では「埋め立て」を「開作(かいさく)」と言いま

    た。当社は西宮八幡宮の末社として、近隣のゑびす社が隣

    接され、開作事業の祈願者として建立されました。

    夏には宗像神およびゑびす神に感謝する「管弦祭(17夜祭)」

                               や港町と発展した故に発生した疫病を鎮める「居能盆踊り祭」

                               等が執行されます。

        境外末社 西宮ゑびす三郎社(浦ゑびす社)

 

鎮座地 宇部市居能町(三嶋神社隣接)

 

御祭神 西宮ゑびす三郎神

 

由 緒 漁業・廻船業など、海の生業で発展した宇部市では古来より、湾岸地域

    各所に兵庫県西宮神社の「ゑびす三郎神」が祀られていました。

    時代の変遷により、一時期は島根県美保神社の「事代主神」とも同一視

    されたこともありましたが、本社「西宮八幡宮」がその社号を残し、ゑ

    びす神とは西宮なりとの信仰が続いたことから、当社は古書でも「西宮

    ゑびす三郎神」の神名として記録されました。

    現在も漁業が盛んな当地域において西宮ゑびす三郎社は宇部市漁業組合

    の厚い信仰を受け、2月~4月の「10日」に例祭が齋行されます。 

         境外末社 浜田水神社(すいじんじゃ)

 

鎮座地 宇部市浜田

 

御祭神 綿津見(わたつみ)神・瀬織津姫(せおりつひめ)の神・人格神

 

由 緒 浜田という地名は「入浜式塩田」の略称で、かつてはこの地で岩塩が

    生産されたと思われる。元禄12年(1699)浜田を給領地としていた

    門田又兵衛(後の二宮氏)により、埋め立て事業が行われました。

    当社は海原と厚東川を繋ぐ分水嶺にあたり、海の神と川の神を守護神

    として祀ったのだろうと考えられます。

    またこの事業に尽くした多くの先人の御霊も合祀し、毎年地区の農業

    従事者(水利組合)の方々により、春に大祭を、夏には豊作祈願の

                               虫除け祭(さば送り)が執行されます。

    

     

          境外末社 秋葉神社(平原神社)

 

鎮座地 宇部市平原

 

御祭神 火の迦具土神 建御雷神 

 

由 緒 かつて藁葺屋根の多かった藤山地区では火事が多く、中でも草原と風

    通しの良い当地区では40世帯が全焼するという惨事がありました。

    明治時代、鎮火を願った地区民によって「秋葉神社」が建立。

    しかし、この社殿も明治42年火災により消失。

    それでも尚、地区民の秋葉信仰は衰えず、三度再建され今日に至ります

    明治といえば、東京相生町でも大規模が火災が起きたのが明治2年で

    明治3年に、静岡県秋葉権現を勧請し、鎮火神社が建立され、やがて

    この地は「秋葉神社が祀られている平原地」であることから、現在の

    「秋葉原」という地名が誕生した時代です。

                               これは当社と全く同様の建立事由であり、往時の大火が如何に驚異で

                               あったかが地域を越えても同様であることを今に伝えています。

                               例祭は毎年2月28日に齋行され、くじ引きなどの催事で賑わいます

 

 

       境外末社「大鳥羽神社(おおとばじんじゃ)」

 

鎮座地 宇部市中山

 

御祭神 大歳神・大己貴神(おおなむち)・水分神

 

由 緒 寛延元年(1748)藤山地区の農産地である当地に五穀豊

    穣の祈願社として建立されました。

    かつては鶴の群れが飛来し、その美しい景色が社名の由来

    とされております。

    他方、鶴や白鳥は古より鉄や石炭などの鉱山近くの自然環      

    境下に生息することから、全国各地で「大鳥伝説」といっ

    た伝承が散見され、当地もかつては鉱山としての利用価値

    を模索した可能性があったと考えられるのです。

    主に西宮八幡宮「中山地区総代」が管理しております。

    

   境外末社 「宮地獄神社・大歳神社・稲荷神社・権現社」

 

鎮座地 宇部市鍋倉町並びに鵜の島地区

 

御祭神 宮地獄神社 神功皇后・勝村大神・勝頼大神・金比羅神

 

    大歳神社  大歳神(豊年の神)

 

    一光稲荷神社 宇迦御霊神

 

    権現社    ゑびす・大黒

 

                             由 緒 古の世、この周辺は海であり、鍋倉は廻船業の港として機能しま

                                 した。明治に入り居能町が発展すると、眼下に見下ろす高台に

                                 多くの私的なお宮が建立されました。戦後は西宮八幡宮の末社

                                 として、春の祭り(宮地獄)や権現社の祭りを執行します。

            兼務社 日吉神社

 

鎮座地 宇部市車地112番地

 

御祭神  大山咋命(おおやまくいのみこと)・天水分命(あめのみくまりみこと)

 

由 緒 江戸時代の元和7年(1622)厚東氏が築城した霜降城の鬼門除けとして

    祀られていた神を再建。

    寛文9年(1669)現在地に遷座した。

          兼務社 熊野神社

 

鎮座地 宇部市大字山中345番地

 

御祭神 伊邪那岐・伊邪那美命・事解之男命(ことさかおのみこと)

 

由 緒 室町時代の応永元年(1394)修験者が地形をみて紀伊の国熊野本宮

    に酷似していたことから、熊野本宮のご分霊を祀った。

    先の大戦時、この地から出征した地元民は一人も戦死することがなか

    ったという。

             熊野大神のお陰と家族たちは大変感謝し涙したと地区民は口伝している

 

         兼務社 善和八幡宮

 

鎮座地 宇部市大字善和829番地

 

御祭神 神功皇后・応神天皇・中哀天皇

 

由 緒 この地は山口市小郡と宇部市の境界付近であり、藩政時代には紛争

    が多く、明治3年(1870)に山口市鎮守「今八幡宮」の御分霊を

    祀り、住民間が仲良く和を保つ地域であって欲しいとの願いを込めて

    「善和(よしわ)」という地名としました。